那智へ
令和元年5月4日18時
温泉から出ても、まだ外は明るかった。
次は那智の滝を目指すことにしていた。
那智の滝も世界遺産で、手前にある三重の塔と一緒に写された写真でも有名で、一度行ってみたいと思っていたのだ。
湯の峰温泉からは1時間半の距離にあった。
いざ那智に向けて出発だ。
道すがらの熊野川が、エメラルドグリーンに透き通っていて綺麗だった。
前に乗ったことのある、瀞峡川下りの船乗り場を通り過ぎた。
那智の夜
那智の滝に着く前に日が暮れた。
ネットで調べたところ、ライトアップが20時からと書いてあった。
この時の時刻は20時には少し早く、先に那智の街中で食事をすることにした。
このあたりではマグロが有名で、クジラ、イルカも扱うようだ。
市場の駐車場に、観光客でも車を停められるようになっていた。
商店街は意外と広く食事処が点在していて、あまり数はないのに意外と人が多いため、どこも満席だった。
2軒で断られ、3軒目の竹原という店にようやく入ることが出来た。
ちょっと珍しく感じた組み合わせの、南高梅しらすマグロ丼を頼んだ。
我々としてはクジラでも微妙なのだが、イルカには正直抵抗がある。
食事をしながらネットで調べていると、那智の滝のライトアップ説はどうやら情報が古く、現在もやっているのか怪しいことがわかってきた。
他の口コミには、月明かりに照らされた幻想的な滝が見られるという情報もあったため、試しに行ってみることにした。
のはいいのだが、、、
行ってみると、誰もいない静まり返った古い町は、正直言って不気味意外の何物でもなかった。。。
「月明かりに照らされた幻想的な滝」説は、真っ暗な神社の参道を、足元に灯りを照らしながら入っていかなければ見られないものであり、、、
こどらはあまりに怖過ぎたようで、下手に「怖い」とか「不気味」などと言う言葉を口にするのもマズイと思ったらしく、
「早くかえろ、見るとこ何にもないから、早くかえろ」
と、ただひたすらに繰り返していた。
仕方がないのでまた次の機会に出直すことにして、国道42号のバイパスで東京を目指した。
熊野灘沿いにはコンスタントに道の駅が出てきたが、なるべく先に進みたかった。
帰路についたとはいえここは和歌山で、東京までの道のりはまだまだ長い。
途中の砂浜では、鯉のぼりが横一列にたなびいていた。
この晩は結局、奥伊勢PAで11時前に就寝した。
帰路
令和元年5月5日朝
6時に起床、6時半に出発。天気は晴れ、気温12度。
この辺りのPAは、小さいけれども静かで綺麗な施設だった。
走り出すと辺りには朝靄がかかり、高速道路のフェンスには猿を発見した。
伊勢道を名古屋方面へ向かう。
車窓からは檜の良い香りがした。
ちょうど今の季節には田植えが終わり、田んぼには小さな稲が規則正しく植えられていた。
安濃SAが朝7時からやっていて、朝定食と肉伊勢うどんを朝食に食べた。
焼き鯖がジューシーでフワフワ、臭みゼロで、めちゃくちゃ美味しかった。
肉伊勢うどんは、西日本で食べる肉うどんの味で、うどんが伊勢うどんという、想像通りの味だった。
話は逸れるが、肉うどんは、最近東京でもすっかりお馴染みになった。
「関東で肉うどんを頼んだら豚でガッカリした」などと言っている人をたまに聞くのだが、
そもそも関東には「肉うどん」というメニューはなかったと思うのだ。
よって、関東でも、肉うどんといえば西日本から入ってきた、所謂「牛肉の肉うどん」のことを指すと思うのだが、、、違うのだろうか。
7時半に再出発し、亀山、鈴鹿、四日市あたりを早朝のうちに通過した。
いつも大混雑するこの辺りは西日本へ行って帰る時の難所なのだが、始めて快適に駆け抜けた。
四日市JCTを伊勢湾岸道で刈谷へ向かう。
刈谷には何度も来ているが、定番のカキツバタの湯で朝風呂に入った。
安定のヌルヌルの湯で、これまた安定の混み具合だった。
新東名が事故渋滞で東名も渋滞していたため、距離は長いが通過時間の短い東名を進むと、駿河湾が見えてきた。
今回は結果的に日本列島の海沿いを半周し、
日本海→(関門海峡を横目に)瀬戸内海→太平洋
と旅してきたことになる。
11時半に富士川SAに着いた。
さすがのGWで大混雑だった。
少し早いお昼に、駿河湾のお寿司を買い込み、車で食べた。
この日の富士山は頭に白い雲をまとっていた。
相変わらずの渋滞ではあったが、想定内の混雑を通り過ぎ、
自宅に着いたのは令和元年5月5日の夕方前のことだった。
翌日は自宅でバーベキュー↓↓↓
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