令和元年GW日本列島半周の旅 24 友ヶ島

令和元年GW日本列島半周の旅

友ヶ島へ

令和元年5月4日朝

6時半に起床して、7時半前に道の駅を出て加太の船乗り場へ向かった。

この日の目的地は友ヶ島

実は何年も前からずっと行きたいと思っていた場所だったのだが、この旅の途中で立ち寄ることを思いついた。

もっと朝早く起きるつもりが思いの外寝過ごしてしまったため、時間節約のために途中で朝マックをドライブスルーで買い込み、食べながら向かった。

朝一の9時の船を目指していたのだが、船乗り場には8時半前に到着した。

既に駐車場は満車に近く、ギリギリ何とか車を停めることが出来た。

ただ、案の定、船乗り場には長い順番待ちの列ができていて、整理券が配られていた。

臨時便も出ていたが、我々は結局10時発の船に乗れることになった。

出発までに時間が出来てしまったため付近を散策してみたのだが、神社があり、海鮮を食べられる食堂があり、屋台が出ていたりした。

桟橋にはずらりと釣り人が並び、海に向かって釣り糸を垂らしていた。

我々が乗る10時発の船は、9時40分から整理券を切符に替えられると聞いていたのだが、

9時半に船乗り場に戻ってみると既に切符売り場が始動していて、

10時の船の切符を購入し終えた人が乗船待ちの列を作っていた。

往復1人2000円。

帰りは船の予約ができないため、島の桟橋で乗船のために並ぶことになるそうだ。

帰りの時間が遅くなればなるほど島での待ち時間が長くなるという。

友ヶ島行きの船は観光船のように小さめのものだった。

出港してすぐに島が見えてきて、その周りには釣船やクルーザーが出ていた。

20分程で友ヶ島に到着。

海は綺麗なのだが大量のクラゲがいて、とても水遊びは出来なさそうだった。

友ヶ島(沖ノ島)

友ヶ島というのは和歌山県の瀬戸内海に浮かぶ無人島群のことで、その中でも見学が出来るのが沖ノ島。

明治時代に日本軍によって建てられた要塞跡があることで有名だ。

沖ノ島にはハイキングのモデルコースが2種類あって、3.7kmと6.2km。

短いコースでも島の名所を回る事ができるため、我々は3.7kmのコースを辿ってみることにした。

無人島とはいえキャンプ場もあり、海の家もあった。

道は舗装されていないため、歩きやすい靴がオススメだ。

見下ろす海は綺麗なのだが、岩場は内海のせいか、いかんせんゴミが目立った。

最初は涼しかったのだが、歩くうちに徐々に暑くなった。

この島では一足早い蝉が、ジージーと鳴いていた。

程なくして第二砲台跡に到着。

ラピュタの島と言われるのが頷けるような朽ちた要塞跡だった。

もう少し歩くと白亜の灯台に辿り着く。

ここには子午線広場があり、明石から繋がる日本標準時子午線の日本最南端だ。

島の遊歩道は緩やかな坂で、木漏れ日がキラキラと綺麗だった。

島一番の見所は第三砲台跡で、ここの要塞は広くて見応えがあった。

崩れ落ちそうな階段を下ると、暗い通路と、何もなく光すら届かない空洞のような部屋がある。

廊下を抜けると外の空間に出るのだが、中庭のような感じになっていて、まるで迷路のようだ。

この辺りはまさにラピュタそのものといった趣で、蔦の絡む季節には、よりその雰囲気が出るようだ。

どこか砂漠のあるような、アフリカか南米かアラビアの国にある建物のようにも見えた。

観光客もこの辺りに集中していて、皆一様に写真を撮っていた。

昔からこんなに人が集まる島なのか、最近のSNSの普及による影響なのか、、、。

この旅では各地に藤の花を見かけたが、ここでも綺麗に咲いていた。

帰りは急な坂道を長々と降るのだが、逆周りで周遊しているのか登ってくる人たちもいて、かなりキツそうだった。

我々が辿った道順であっても結構疲れたため、逆周りは無謀に思えたのだが、第三砲台跡だけを見て帰るのだろうか。

帰りは結局12時半の船に乗れたため、この島には2時間くらい滞在していたことになる。

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