3.11津波浸水地域
国道45号を釜石方面へ南下した。
海沿いは3.11の際の浸水地域だった。
新しい立派な堤防が建設されていて、海は全く見えなくなっていた。
とはいえ、7年経った今でもまだ建設中とは、よほど立派なものが出来るのか、それとも復興が遅れているのか、、、
住宅街が0メートル地帯と思われる場所にあった。
団地には1階の途中まで浸水したという線が引いてあり、空き地が多かった。
山田町では空き地も多いものの、家も建てられていて、少しずつなのかもしれないが復興されてきているように見えた。
震災直後の写真と実際の街並みを見比べて、被害の大きさを肌で感じた。
震災前は風光明媚な海沿いの街だったのだろうと思うと、なんとも言えない気持ちになる。
高台に住む人は、眼下の街が津波に飲み込まれる様を見て、きっとこの世の終わりだと思ったことだろう。
国道45号には津波浸水地域に標識が設けられていたが、今後の防災に役に立つだろうし、良い試みだと思った。
大槌町では、こんな高台にまで⁈と思うような高さにまで津波が到達していた。
釜石でも、道路や町が新しかった。
7年経ってもまだ尚、復興はあまり進んでいないのかもしれないが、
一瞬にして全てを破壊する自然の猛威に晒されても、また一からコツコツと立て直していく人間の強さを垣間見ることが出来たように思う。
ふるさと納税や観光に訪れるなど、長く続けられて、現地の経済が流れるような支援を、今後も続けていきたいと思う。
少し遠回りしたが、釜石まで着てから遠野へ向けて内陸へ入った。
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